中学生になった頃から、
上手くやっていくためには周りに合わせないといけないという圧を感じていました。
女子校だったから尚更だったのかもしれません。
友達が好きなものを一緒に好きになって、
友達と同じことをしないといけない。
そうじゃなきゃ仲間外れになる。
そんな思いがずーっとあって、
私にとってその頃の友人関係はとても苦しかった。
色々あった末に
「もう嫌われてもなんでもいいや!」
と開き直ってから、ようやく人付き合いがラクになりました。
それは同時に、
「自分が好きなこと、自分の素直な感覚を優先して大切にする」
ということができるようになった瞬間。
私が好きなことって、今と変わっていませんがまぁマニアックだったので(笑)
全てを分かってもらおうとしなくていいし、
全てを共有しなくてもいい。
その心地よさ!
大昔はある意味イチかゼロか、という感じでした。
でも0.5でも0.1でもいい、と思えるようになりました。
全てを共有しなくても、
かけがえのない楽しい時間は過ごせる。
全てを分かってもらわなくても、
深い友情関係は成立する。
それは恋愛も同じ。
(そもそも自分の全てを分かってもらえることはほとんどない。自分だってよく分かってないし笑、変わり続ける存在だから)
私はメタフィジカルなことは旦那さんとはほとんど共有していません。
聞かれたら話すこともあるけれど、
自分から話すことはナシ。
だから私の本棚を見ても「なんじゃこの本」って感じるのがほとんどだと思う(笑)
でも、それでいい。
私が感覚的なタイプだから、
旦那さんはドシっとグラウンディングしてて、ちゃんと目の前の仕事をしてくれる人がピッタリなのです(^-^)
友情でもパートナーでも、
この人一緒にいると楽しいな、心地いいなと感じるのは、
自分には分からない深い深いご縁があるから。心をお互いに自由にする役割があるのかもしれない。
それは表面的なところ(趣味が同じとか)からくるものじゃないのだと感じます。
だから自分を偽らなくて大丈夫。
隠さなくて大丈夫。
ただ単に言わない(共有しない)、のはいいけれど
何かを隠そうとするとあやしいエナジーがでて(笑)、
それが関係を作っていく上で無意識のブロックになる。
あっけらかんと「実はこういうの好きなんだ〜」「前にこんなことがあったんだ〜」「今はこんなこと感じるんだ〜」と堂々と、普通に言ってみたらいい。
それで引いてしまうような人なら、
そもそも友達にならなくてもいいじゃないか(^-^)
基本的な人間関係のマナーが似ていれば、
普通それだけで判断するなんてありません。
同じくらい相手がどんな人生を歩んできたのか、今何を感じているのか聞けたらいいですね。
心を開けば開くほど、
周りからの愛が流れ込んできます。
今まで受け取ってこなかった、自ら拒否していたことに気付けます。
心を開くと傷つくんじゃないか、
そう感じる方も多いと思いますが、
流れてくる愛がその不安ごと全て溶かしてくれますから大丈夫ですよ( ´∀`)
ありのままの自分を見せることで
周りの人も、それでいいんだと心が解放されていくのです。
そうするとご縁のある方と、愛のある深い関係を結ぶこともできるのです。
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