判断して、ラベルを貼って、その後は?






「周りを判断すれば、それは自分の心を縛ることになる」








例えば「あんな行動は信じられない、許せない」と誰かに対して感じたとします。



そう感じること自体には良いも悪いもありません。
何かを見てその反応がでてきた、
それは大抵の場合何かを投影していることも多いです。
(例えばあなたを過去に嫌な思いにさせた人にどこか似ているところがあったりすると、その人を思い出して「目の前の全く関係のない人」も嫌になってしまう)


その働きは働きとして、
今回はそのあなたの「判断」の方がポイントです。


何かを判断する、ということは
「これは良いけれど、これはダメ」
「こういうふるまいはいいけれど、何もしないのはダメ」
などなど、良い悪いというラベルを貼るということです。


その基準に、苦しむのは結局自分なのです。



例えば自己中心的に動いているように感じる人に、「あんな態度はダメ、周りの人の気持ちを考えず動くなんて許せない、あー腹だたしい」と感じたとします。(笑)



そうすると、

「あなたも自分自身を、その基準で測るようになる」

ということです。


その思いこみが強いと、
自分の行動や選択にも影響してきます。


つまり、自分自身に対しても

「周りの人の気持ちを考えずに動くなんて許されない」と感じ、

そういう行動をする自分のことは許せなくなるのです。




結果どうなるかというと、
自分がやりたいと感じたことでも、
周りからの反対にあったり、
いろんなことを考えて周りに迷惑がかかると思うと、
それをするのをあきらめてしまうようになります。
「(あの人のように)自己中、自分勝手と思われたくない」からです。






何かを判断すると、

それは結局自分の心に返ってきます。

それが心の働きです。

そしてその判断自体も、
過去の記憶に影響を受けています。



じゃあどうしたら判断から自由になれるのでしょうか?


私自身ももちろん日々判断する心はあります。
でもその働きに気づいているので、
必要以上に影響を受けません。

判断する前の、「自分が素直に感じた思い」の方に焦点を当てるようにしています。

こちらの方に自分の心の癖、思いこみがでてくるからです。



どんなことを感じても、一瞬で何か判断しても、
「そう感じるんだねえ」と寄り添い、
否定する動きはないので、
じっくりその思い・判断を見つめることができます。



「なぜそう感じるの?」
そうやって心を観ていくと、
遠い昔の記憶を思い出したり、
理由が分からないけれど強い感情・基準がでてくるものにはクリーニングをしたりして、
パイプのつまりを取ってエナジーがスッと流れるようにする。
そうしてどんどん心から無意識の基準を手放していくことができます。



人に対して強い思いが出てくる時は、
その人の全人生に思いを馳せます。



その人には、私には分かり得ないたくさんの経験、記憶、思いこみ、
家系として流れてきたものがあり、
それがその人を「今そうさせている」のです。

人ひとりの人生の背後にあるエナジーの量は、莫大です。



色々大変なんだろうな、
その人の親はどんな人で、どんな思いをしてきたんだろう。
その人の行動には「なんでだろう」と感じても、「その人そのもの」を否定しないようにします。


それは究極的には自分のためです。

その人を否定すれば、それは「自分の中の一部もどこか否定することになる」からです。







私は自分のすみずみまで、愛を行き渡らせたい。

どんな部分も否定したくないのです。
だから周りのことも否定しません。
「私にもそういう時あったな、タイミングによってはこれからだってそうなることもあるかもしれないな」と、その人の思いに寄り添うことで、何よりも恩恵を受けているのは私です。
その人の背後にあるエナジーの全てを理解することはできないので、
そもそも判断する材料が少なすぎるのです(笑)


一時的な判断でも、それは自分の心を狭めます。
今日、皆さまは何か「判断」しましたか?(´・ω・`)